我が家のリビングにはテレビを置いていません。
ですので殆どテレビを見ることはありません。
家に一台も本当にテレビがなかったら、
今回の震災も今だ知らないかもしれない、
なんで行く先々でお店が半分暗いのやろう?
暖房ついてないのやろう?
そう思ってるかもしれないくらい、
京都の今は目立って変わったことのないような、
そんな状況です。

しかしそんな中、何人からも電話がきます。
京都に避難したい、安いマンションを探してほしい、
ホテルを探してほしい。
主に主人の友人の韓国人です。
外国人の方は日本政府の情報だけでは不安なのでしょう。
パニックです。

私にも電話があります。
東京の50階程の高層マンションに住んでおられ、
彼女には4歳の子供がいます。
インターナショナルスクールに通っているようです。
所謂お嬢様です。

「避難するために香港に飛びたいが、東京から飛行機がない。
関空から飛びたいので、ミマリの家にそれまでいさせて貰いたい。
外にはなるべく一分でも出たくない」

沢山の情報を私にくれるお嬢様もまたパニックです。
自分はさておき、子供を守るためにです。
どこまで本当だか分かりません。私も子供は不安です。
今は目には見えなくても、10年20年経ってから何かが
現れるかもしれません。
しかし私のような一般庶民はだからといって、今現在
平常通り動いているお仕事をホッて、では旦那様の実家の韓国へ、
とはいきません。
冷静に今ある現実をみつめ、この日本に居座るしかないのです。
そして私に今できること。
助けを求めてくる人には、誠実に対応する。

こんな震災が理由だけれど、会いたいね、会いたいねと
言い続け、10年振りの再会となります。
前回会った時は、私は25歳、東京で個展をするために、
路上で絵を売る。お金がないので一週間ばかり泊らせてほしい。
それ以来です。
あの頃は彼女のお暮らしが私と偉く違うことに、気付いておりませんでした。
路上で絵を売ってる私の事、どんな風に思ってはったのでしょう。
何も聞かず泊めてくれた彼女には今も感謝しております。

年齢を重ねるにつれ、親や家族が大事なのはもちろん、
友人への大切さもしみじみと感じます。
やっと彼女に恩返しが出来る時がきました。

さて、来週からお嬢様が来ます。

築40年の我が家。
温めてる部屋以外、えらく寒いです。
お風呂は昔ながらの真四角です。
脱衣所修行並みです。

どないびっくりしはるでしょう。
おおいに悲鳴上げてもらいましょう。

それでも今生かされていることに本当に感謝する、
そんな毎日ですね。

お玄関に、お庭に咲いている”乙女椿”を飾りました。
花を摘んで飾れること。
それだけで贅沢です。

彼女が来るまで制作です。
産前産後、ほぼ産休などありません。
赤子が泣いています。

無視です。

皆さま、どうかお身体ご自愛下さい。
そしてご無事な事を心よりお祈り申し上げます。

愛を込めて京都から。