次何の本を読もうかな、そう思ってた時保育園ママのお宅で分厚い三冊の本に
出会いました。
ページをめくると、”ロサンゼルス リトルトーキョー”などの文面が目に入り、
単身渡米したロス、何度も日本食の買い出しに訪れたリトルトーキョー。
思い出で心が熱くなりますが、少し前に読んだ”永遠のゼロ”に続きまたも戦争もんの話ぽい?
うーん、と思いましたが(話に入りすぎて、制作の手が震えます)お借りしてみることにしました。
読み初めてみますと、日本がパールハーバーを攻撃した時のお話。
そしてアメリカに住む日系人二世のお話です。
日本がアメリカを攻撃した時、アメリカに住んでいた日系人、しかも
二世達は生まれも育ちもアメリカで、国籍もアメリカなのに見た目が
日本人だというがために差別を受けて生きるというお話です。
私は読み初めて直ぐ、ちょっと待っておくんなせ?これは私の
殆どの親戚が暮らすカナダのおばさんやおじさんも体験してるのか?
胸が熱くなると同時に、そういえば数年毎年来ていたクリスマスカードも
来なくなっている!と気づくのです。
日々自分の人生だけに追われる器の小さい私、また子供が生まれて以来は来ていた
クリスマスカードにさえ返すこともしてない状況です。
私が生まれた時から他界する七年前まで一緒に住んでいたお婆ちゃんがいました。
名前はカナダで生まれたカナ子ちゃん。
カナ子ちゃんともう一人の姉だけが事情があり、
日本に幼少の頃彼女達のお婆ちゃんと日本に帰国したようでしたが、
他の7人ほどの妹や弟はカナダで生まれカナダで育つ2世です。
そんなおじさんやおばさん、考えてみたらもう随分お年だ!と気づき、
カナ子おばあちゃんが他界してから親は英語が話せないことから
交流が遠のき、そういえば数年連絡もない!
また日本で暮らす親戚の中で英語が出来るのも私だけ。
”オーマイガー!!!”
しかも皆引っ越したという連絡以来住所さえ知りません。
キリカネおばちゃん焦ります。大切な親戚が失われつつあることに
たまたま行った保育園ママの家にあった本で気づかされたのです。
なんだこれは、ご先祖さまからのお導きでしょうか。
幸運にも三世の私と同じ年齢ケビン、彼は俳優をしているので
ここぞ現代、名前をネットで検索したら即ヒット。
17年ぶりのケビン登場。kevan ohtsuji.
http://www.imdb.com/name/nm0645187/
なんとかもう一人の三世メーレンのメールアドレスを見つけ、
長く連絡を取ってないことの謝罪と、もしかしてあなたのお母さんたち
パールハーバーを日本が攻撃した時大変だったんじゃないかしら?と
いう唐突なメールを出しました。
数日後、メールは無事に返ってき、パールハーバーのときの
親戚のお話が長い英文で書かれておりました。
なんと私がカナダにいた時大変お世話になったあさ子おばさんには
”Stolen Memories”という映画があること、
ニュースでもそれに関しては大きく報じられたこと、
私が会ったことのないアキヒデおじさんに至っては、
その時代にうまく生きることができなく、
戦争が終わった後も日本人だというだけで差別を受け、
仕事もなく、ある一文には”彼の生活は映画のレ、ミゼラブルのようだった”と
記してあるのです。
結局食べるに困り、日本人だというだけで何度も牢獄に入れられ、
ついには精神病になり精神病院に入れられ、
その後ホームレスになり彼は道で死んでいきました、と。
彼に関してはまた、彼が生きていたという証を残すために
“Breaking the Silence”という映画を今も創り続けていること。
長文にわたる初めて知る親戚のその時代のお話。
日常会話を超えた歴史の話に英単語をお受験ばりに調べ、
そして読み終えて涙が止まりません。
今なお就寝前にパールハーバーの分厚い本の一冊目を読んでいるところです。
まだ二冊もある。
話の至ることが親戚の話と同じです。
そして二世のおばさんの一人に多分届くことはないだろうと思ったのですが葉書を出し、
無事返信が返ってきました。
カナ子おばあちゃんの弟妹はもう残り二人だけなのだそうです。
私からの連絡をとても喜んでくれてました。
早速家族写真と、カナダで他界してしまったお世話になったおじさんやおばさんに
何もできなかったこと、そしてこれから最低でも私が死ぬまではカナダの親戚との
関係を途絶えないようにして行きますと書いて封を閉じました。
そんなこんなで、毎日必死で制作もしております!
一人だったら良いのです。しかし子供を産んでしまったので、
子供に伝えて行かなくてはいけない責任が親にはあります。
ご先祖様がいることや、お墓にお参りにいくこと、
カナダに親戚がいて、アメリカと日本が戦争になったとき
親戚が大変だったこと。人種差別があったこと。
今もそういったことはあること。
世界が平和で、人は皆平等で、食べれることだけでも、
仕事が大企業じゃなくてもあるだけでもありがたいこと。
教えることが山盛りで、
かぁちゃんどうしましょ。
さて、制作に入ります!
こんな長い文をお読みに下さって本当に有難うございます。
明日はキッズが集まりホームパーティ。
家事育児と制作。
必死で、必死で必死で創っております。
世の中の働くママ、みなさんどうやってはるのか知りたいものです。
生活範囲の視野が狭くて自分がええもん創ってるかよう分かりません。
またちょくちょく作品アップ致します。
皆様いつも有難う。たまにファンレターが無名作家の私に届きます。
暫く飾るのです。
嬉しいから。
ほんまおおきに。
oh!最後に、お写真は、返事が来たおばさんからの手紙と、
17年前にカナダのおばさんおじさんをカナ子ちゃんと姉と訪れたときの
お写真です。右上の家に着いた時、おじさんは”日本人を主張して
こんな日本風の屋根にしたんだよ”と誇らしげでした。
小さかったナタリーとリシェル。一人は看護婦になり結婚したと聞かされて
まさにoh my god!ハロインのときに服の上からブラジャー付けて踊らされることを
強要されて困った思い出が蘇る。